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ご挨拶 by 菅野(ファンブロ)亜希子

Greetings by Akiko Sugano-Fambro

2019年7月17日、私の父、元有限会社三栄無線社長、菅野卓幸が天へと召されました。ちょうど、90歳の誕生日を向かえたその翌月のことでした。私の幼い頃から、自営業を営み、家ではシルク印刷から、製図CAD、撮影、現像、棚づくりなど何でも自分でやる父の姿、はっきり覚えています。また、子育てや家事の合間に、会計、パーツを揃え袋に入れたり、時に秋葉原のお店のお手伝いに駆り出されていっていた母の姿をみながら育ちました。それは、自分も将来、三栄無線を継いであげたい(残念ながら、この夢はかなわず。)

もしくは、自営業を持ちたいと考えるほどのインパクトでした。父は息子には恵まれず、2人の娘を授かりました。姉も私も、父のお店でアルバイトをしたことなどあります。1996年には、何でも手掛ける父は、とうとう工場を設立し、自分で板金をはじめます。姉は結婚し、義兄は自分の好きな仕事を辞める決意をし、三栄無線閉社前5年間、父のもとで従事しました。三栄無線は、まさしく父のモットー  "Amplifier built by hand with Passion"   (情熱の手で作られたアンプ)の通り、父の良い音とクオリティーを追及した結晶と言えましょう。三栄無線で売られていたもの、今よみがえろうとしているSP500を含め、すべて父のオリジナルデザイン、回路図から外装(シャーシ―)まですべてに父の情熱がこもっています。残念なことに、今とは違い、当時の自分は電気やアンプには興味や知識がなく、父の世界は私の理解できる世界ではありませんでした。しかし、父が召される約2か月前、私と私の友人と、父を真ん中に挟み(この時期、父が特に聞きたがっていた曲)、“Time to Say Good-Bye” を視聴していた時です。前にも父に、三栄無線のアンプで視聴させてもらったことは数限りなくありますが、この日私は、今まで聞いたことのない音を聞いたのです。

まるでそれはHeavenly Sound(天の音)でした。私たち3人は、われを忘れ涙を流し、子供のように泣いていました。そのうち私が感じたものは、私たちがエレベーターで一瞬の間に天に上がっていき、前に開けたものは天空そして、天使が「Holy, Holy, Holy(聖なる、聖なる、聖なる)」と言い、回っている姿でした。

そこには、悩みも、痛みも、辛さも、悲しみもない、一番この世で幸せで安心な場所、最高の場所でした。

この時初めて、父が情熱を注いで一生こだわり、望んでいたのが、真にこの音。父はこの音を追及し続けていたのでは?と感じました。この音は父でなければ作ることが出来ない、最高の作品であるのだと実感しました。

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父が召されて間もなく、母のもとに三栄無線ファンクラブ代表の曽我氏から電話が入り、ぜひ遺品在庫整理のお手伝いをさせてほしいということから、現在のSP500復活へと進んでまいりました。ファンクラブの方々の存在をも知らなかった私たち親族は、父のアンプへの情熱が作り出したプロダクトを無線閉社後10年以上たっている今でも、愛し、慕って、大切にしてくださっていることに、感動を覚えております。ファンクラブの佐藤氏が初めて三栄無線工場跡を訪問されたとき、「三栄無線のカタログは私のバイブルです。」、ほこりをかぶったがらくたのようになっているパーツを見て、「宝です!」と言ってくださいました。ですから、ファンクラブの方々の三栄無線アンプへの情熱がSP500をよみがえらせるきっかけとなったというわけです。私にHeavenly Sound (天の音)でしたが、ある人にはHeart Sound(心の音)、またある人にはHealing Sound(癒しの音)かもしれません。約30台ですが、世代を超え多くの方にSP500  ~Revive~を通し、それぞれ個人でこの「音」の体験をしていただけたらと願っております。

最後に、父の三栄無線が秋葉原という場所において、長きにわたり経営、運営することが出来ましたのも、たくさんのお客様の支えがあってのことです。亡き父に代わりまして、娘の私から改めて心より深く厚くお礼と感謝申し上げます。

菅野(ファンブロ)亜希子

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